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どのようにしたら、どんな状況でも喜びを持ち続けることができるのでしょうか。
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パウロとシラスは捕らえられ、むち打たれ、牢獄に投げ込まれました。彼らは足を鎖でつながれ、足かせ台に入れられて、自由に動くことができませんでした。これ以上ひどい状況になることがあるでしょうか。(使徒の働き 16:22-24)では、ほかの囚人たちは、彼らが神を責めたり、不平を言ったりする声を聞いたのでしょうか。いいえ、そうではありません。パウロとシラスの心は喜びで満たされていました。真夜中になっても、彼らは神に祈り、賛美の歌をささげていたのです。どうしてそんなことができたのでしょうか。パウロとシラスの喜びは、置かれている環境から生まれたものではなく、彼らの内側にある神との関係から生まれていました。この種類の深い喜びは、この世から得ることはできません。ただイエスが私たちの心の内にいてくださることによってのみ、与えられるのです。この喜びは、すべての信じる者の内に住んでくださる聖霊によって生み出されるものです。(ガラテヤ 5:22)聖書には、いつも喜んでいること、いつも祈ること、そしてあらゆる状況で感謝することが、神が私たちに望んでおられることだと書かれています。(テサロニケ人への手紙Ⅰ 6:16-18) 私たちがいつも喜び、祈り、感謝する時、私たちの人生を通して、偉大な神の平安と愛と希望が他の人々に伝わっていくのです。パウロとシラスが神を賛美して歌っている声に、牢獄の他の囚人たちは耳を傾けていました。(使徒の働き 16:25)。 イエスに従う者として、どのような状況の中にあっても、主の喜びが私たちの人生を通して表されるようにしましょう。コリント人への手紙Ⅱ 6:10には、このようにあります。「心に痛みがありますが、同時に主の喜びも持っています。貧しいように見えても、霊的に多くの人を富ませています。何も持っていなくても、あらゆるものに満たされています。」私たちの喜びは、この世から与えられるものではありません。ですから、この世がそれを奪い去ることもできないのです。
神は、私たちの人生を導いてくださるのでしょうか。
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パウロとシラスは、宣教旅行で福音を伝えるために、いくつかの地域へ向かおうとしました。しかし、聖霊は彼らが特定の地域で宣教することをお許しになりませんでした。その後、神は幻を通してパウロに語り、ギリシャのマケドニアへ行くように命じられました。パウロとシラスは、神の導きを確信すると、直ちに船に乗ってマケドニアへ渡りました。パウロとシラスは、聖霊の導きに耳を傾け、自分たちの計画ではなく、神のご計画に従いました。(使徒の働き 16:6-10) キリストに従う私たちの内には、神の御霊が住んでおられます。私たちが喜んで聖霊の御声に従うなら、聖霊はパウロとシラスを導かれたように、私たちの歩みをも導いてくださるのです。ガラテヤ人への手紙 5:25には、「'もし私たちが聖霊の力を受けて生きているなら、すべてにわたって、その導きに従おうではありませんか。」と書かれています。" パウロを導かれたのと同じように、聖霊は、福音をまだ聞いていない人々のところへ私たちを導いてくださるのです。聖霊は、神のみことばを私たちの心に照らし、人生の中で正しい判断ができるように知恵と悟りを与えてくださいます。詩篇 119:105には、「あなたのおことばは、つまずかないように道を照らしてくれる明かりです。」と書かれています。イエスは、ご自分に従う者たちを「羊」にたとえられました。羊には、世話をし、正しい道へ導き、危険から守ってくれる羊飼いが必要なのです。イエスは、ヨハネの福音書 10:27にあるように「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。わたしは彼らを知っているし、彼らもわたしにはついて来ます。」と語られました。神の御霊は、今日も私たちを導いてくださいます。問題は、私たちがその導きに従うかどうかです。
私たちは、周りの人々にとって良い手本となっているでしょうか。
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牢獄にいた囚人たちは、パウロとシラスが神に祈り、賛美の歌を歌っているのを聞いていました。(使徒の働き 16:25)このような歌声や祈りの声は、牢獄ではめったに聞かれるものではありませんでした。何と素晴らしい神の証しだったのでしょう。間違いなく、その祈りと賛美は、それを聞いていたすべての人々の心に深い印象を与えたことでしょう。 その後、牢の看守は、家族みんなとともにイエス・キリストを救い主として受け入れました。キリストに従う私たちは、語る言葉、日々の態度、そして行動を通して、神を表す者とされています。パウロとシラスは、占いの霊につかれた女奴隷の主人たちや、怒りに満ちた群衆から、不当な罪を着せられました。苦々しい思いや怒りを抱くことは簡単だったでしょう。しかし彼らはそうするのではなく、神をあがめ、暗闇の中で輝く光となることを選びました。ペテロの手紙Ⅰ2:12はこのように言っています。「異教徒の中でりっぱにふるまいなさい。 そうすれば、今はあなたがたを疑いの目で見たり、非難したりしていても、やがてキリストが来られる時には、あなたがたのりっぱな行いを認めて、彼らは神をほめたたえるようになるでしょう。」 私たちの毎日の生き方は、人々をキリストへと導くものになっているでしょうか。パウロは、その生き方そのものが模範となり、人々が彼に倣うことでキリストを知ることができるような人生を歩みました。パウロはピリピ人への手紙 4:9の中で、このように言っています。「私から学んだこと、その行動から教えられたことがあれば、実行しなさい。そうすれば、平和の神が共にいてくださいます。」私たちは日々の生活の中で、神の平安と愛を映し出しているでしょうか。日々の歩みの中で、キリストに似た者として人々の模範となるのに、早すぎるということは決してありません。使徒パウロは、ティモテに若い年齢でも他の人の模範となるように励ましました。彼は「あなたが若いからといって、誰にも軽んじられないようにしなさい。」と書きました。かえって人々の模範になりなさい。あなたが、ことばと態度によって教えていることを、人々にも実行させなさい。愛、信仰、純潔の良い模範を示しなさい。私たちの生き方を通して人々がキリストに導かれるよう、そのような模範となることを絶えず心がけましょう!"
私たちは、どのようにして救われるのでしょうか。
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牢獄の土台を揺るがす神の奇跡の大地震が起こった後、看守は恐れに震えながら、パウロとシラスの前にひざまずきました。彼は、「救われるためには、何をしなければなりませんか」と尋ねました。使徒の働き 16:25-29彼らは答えました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの全家族も救われます。」使徒の働き16:31パウロとシラスは、その夜、看守とその家族全員に主の福音を伝えました。真夜中を過ぎたその夜、看守とその家族は主イエスを信じて救われ、水のバプテスマを受けたのです。神の救いは、今日も変わらないのでしょうか。救いは、本当にそんなに単純なのでしょうか。ローマ人への手紙 10:9には「なぜなら、もし自分の口で、「イエス・キリストは私の主です」と告白し、自分の心で、「神はイエス・キリストを死者の中から復活させてくださった」と信じるなら、あなたは救われるのです。 」と書いてあります。" 神のみことばは今も変わることがありません。今日も、イエスを信じるすべての人に救いの道は開かれています。使徒の働き 4:12にはこう書かれています。「この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。」神は私たちを深く愛してくださり、罪の赦しを受け、天国で永遠に神とともに生きることができる道を備えてくださいました。ヨハネの福音書 3:16には、「実に神は、ひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、この世界を愛してくださいました。それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠のいのちを得るためです。 」と書かれています。"
私たちは、神にどのような賛美をささげることができるでしょうか。
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パウロとシラスは、牢獄の中で鎖につながれ、足かせをはめられていました。それでも、彼らは神に祈り、賛美歌をささげました。(使徒の働き 16:24-25)彼らはいったい何について歌っていたのでしょうか。彼らは、全能なる神に仕えている喜びにあふれて歌ったのです。彼らがどこにいようと、何が起ころうと、神は変わることなく神であり、その御名だけが賛美にふさわしいお方だったのです!詩篇 68:4 は私たちに言います。「神に賛美の歌をささげなさい。 雲に乗って来られる方に、声高らかに歌いなさい。喜びを満面にたたえて、この方の前に出なさい。」" 私たちは、自分の人生に良いことが起こったとき、その恵みを感謝して神を賛美することがよくあります。そして、それはまさにそうあるべきことです!しかし、この聖書のことばが教えているように、私たちは雲に乗って来られる主を高らかに賛美すべきです。主はすべてのものの上におられるお方であり、その御名は「主」です。私たちは、全能なる神の力強い御臨在の中に招き入れられ、その御前にいつまでもとどまることができることを心から喜ぶことができます。詩篇 145:3は、このように言っています「声の限り、偉大な主をたたえましょう! 神の偉大さは、一生かけても窮めることができません。」 私たちは、神を賛美するのを待つ必要はありません。神は計り知れないほど偉大なお方であり、いついかなる時も私たちの賛美を受けるにふさわしいお方です! どのような状況にあっても、神は変わることなく神であられるのです!
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